COMPANY
企業情報
沿革
~1940
- 1917年8月
- 初代社長押谷惣助氏個人企業にて各種フェルト、コルク及び鉄道車両用品の販売を目的に創業
- 1936年7月
- 押谷工業株式会社に組織変更、資本金15万円
- 1937年4月
- 東京都中央区銀座東1丁目7番地に東京出張所を開設
- 1938年9月
- 大阪府豊能郡庄内町牛立289番地に牛立工場を建設しフェルト製造、フェルトパッキング加工並びに金属プレス加工を開始
主な出来事
創業~1940世界恐慌
1940′
- 1941年3月
- 押谷工業株式会社の商事部門を継承して新たに押谷商事株式会社を創設、資本金15万円
- 1943年2月
- 押谷商事株式会社は商号を押谷産業株式会社に変更
- 1943年4月
- 牛立工場の生産設備一式を大阪府布施市稲田1190番地に移転
(現在、近畿フェルト化成株式会社と称号) - 1949年10月
- 押谷工業株式会社は総会の決議により解散、26年3月清算結了
主な出来事
~1940′広島・長崎原子爆弾投下、終戦、財閥解体
1950′
- 1951年9月
- 東京出張所を閉鎖、押谷フエルト株式会社を設立(現在押谷フエルト化成株式会社に改称)
- 1952年5月
- 押谷惣助初代社長死去に伴い専務取締役井上覚氏代表取締役に就任
- 1953年8月
- 大阪市福島区吉野2丁目37番地に工場を建設しアルセル保冷版製造及び各種パッキング加工を開始
- 1955年8月
- 代表取締役井上覚氏死去、翌9月常務取締役木村友治氏専務取締役に昇任し代表取締役に就任
- 1956年8月
- 大阪市北区永楽町47番地に梅田営業所を手芸、衣料用色フェルト専門販売店として開設
主な出来事
~1950′テレビの普及(ラジオからテレビへ)
1960’~90′
- 1962年5月
- 社長制を復活し代表取締役木村友治氏は代表取締役を辞任、専務取締役として留任、新たに常務取締役押谷義夫氏が代表取締役に互選され第二代社長に就任
- 1969年7月
- 中部地方の販売拡充のため愛知県一宮市泉2丁目23番4号に一宮営業所を開設
- 1975年7月
- 一宮営業所を名古屋営業所に名称変更し、愛知県一宮市丹陽町森本153番2に移転
- 1978年3月
- 梅田営業所を大阪市都市計画による土地収用のため閉鎖し、全業務を本社に併合
- 1979年5月
- 大阪市福島区吉野4丁目16番12号に本社社屋を新築移転
- 1992年7月
- 名古屋営業所を一宮市森本5丁目19番24号に移転
- 1996年3月
- 大阪府河内郡千早赤阪村森屋306に千早工場を建設し、紙パックの製造を開始
主な出来事
1960’~1990′新幹線開通、東京オリンピック開幕、大阪万博開催
2000′
- 2004年4月
- 代表取締役押谷義夫氏は取締役社長を辞任し、代表取締役会長に就任、新たに専務取締役押谷彰宏氏が代表取締役に互選され第3代社長に就任
- 2004年10月
- 山陰地方の販売拡充のため鳥取県鳥取市南吉方3丁目302番地に鳥取営業所を開設
- 2006年7月
- 海外での生産供給の為、チェコ共和国に現地法人OSHITANI Czech s.r.o.を設立
- 2006年12月
- アメリカ合衆国に現地法人OSHITANI AMERICA INCを設立
- 2007年2月
- メキシコ合衆国に現地法人OSHITANI DE MEXICO.S.A.DE C.V.を設立
- 2009年6月
- マレーシアに現地法人OSHITANI MALAYSIA SDN.BHDを設立
- 2009年9月
- マレーシアに現地法人OSHITANI TRADING MALAYSIA SDN.BHD を設立
主な出来事
~2000′リーマンショック
2010′
- 2010年9月
- 香港に現地法人OSHITANI HONG KONG LIMITED を設立
- 2013年10月
- アメリカ合衆国イリノイ州にOSHITANI AMERICA Chicago工場を開設
- 2014年6月
- メキシコ合衆国中部アグアスカリエンテス州にOSHITANI MEXICO Aguascalientes工場を開設
- 2014年8月
- OSHITANI HONG KONG LIMITEDを閉鎖
- 2015年6月
- メキシコ合衆国のOSHITANI MEXICO Aguascalientes工場を Oshitani Industrial Mexicana S de R.L de C.V として法人設立
- 2017年8月
- 押谷産業 創業100周年
主な出来事
~2010′押谷産業100周年